曽野綾子氏「難民受け入れは時期尚早だ」

アパルトヘイト容認発言で海外メディアから大批判された作家の曽野綾子氏が「文藝春秋」(文藝春秋)12月号ではシリア難民をはじめとした「難民受け入れは時期尚早だ」という一文を寄稿している。
難民に対して「難民業」なる職業の「狡い人」がいることを強調している。

(難民を日本が受け入れるべきか否か、受け入れうるかという観点で)
「難民の多くは、生まれ落ちた国の事情で、気の毒な運命に翻弄され、やむなく難民になった人たちだが、難民になったほうが飢えることがないから、自ら進んで難民認定を得る狡い人もいる。
何十年にもわたって難民認定を受けて暮らし、キャンプの外で働き、お金を貯めるのだ。また、高利貸しから逃れるために難民に紛れ込む者もいる。そして、難民を生業とする『難民業』とでも呼ぶべき身分が発生する。(中略)その難民申請を得ようとする者は、難民申請の最中には強制退去させられないことを知って、申請をはねられても繰り返し申請する者もいると聞く。また『難民業』として、申請するものもいるという。単純に「難民申請が少ない」と批判するのも実情を知らない結果かもしれない。」

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曽野綾子氏のアパルトヘイト容認発言:(2月11日付の産経新聞コラム)

「日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。
しかし同時に、移民としての法的身分は、厳重に守るように制度を作らねばならない。
条件を納得の上で、日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。
不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。
ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。
もう20~30年も前に、南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに、分けて住む方がいい、と思うようになった。
南アのヨハネスブルグに、一軒のマンションがあった。
以前それは、白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。
ところが、この共同生活は、間もなく破綻した。
黒人は、基本的に大家族主義だ。
だから彼らは、買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。
白人やアジア人なら、常識として、夫婦と子供2人ぐらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく床に寝ても、それは自由である。
しかし、マンションの水は、1戸あたり、常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションは、いつでも水栓から水の出ない建物になった。
それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。」